2021年4月29日のカンブリア宮殿にアサヒビールの社長である塩澤賢一さんが出演されます。
アサヒビールと言えば、最近は「生ジョッキ缶」が話題となっていますね。「ザ・レモンクラフト 地中海レモン」という限定商品も大変興味深いです。
アサヒビールの代表取締役社長に塩澤賢一さんが就任したのは、2019年3月のことでした。実は塩澤賢一さん、大学卒業後新卒で入社して以来ずっとアサヒビールを支えてきた方なのです!
社長就任後に受けたインタビューで“スーパードライ”発売当時の苦労話をしんみりと語っている姿はとても印象的でした。
そんなごく普通の営業マンから社長にまでなられた塩澤賢一さんとは、いったいどんな人物なのでしょうか。
そこで今回は「塩澤賢一のwikiプロフと経歴!年収や家族構成も調べてみた」と題して
塩澤賢一さんのこれまでの歩みに加え、少しプライベートなところまでご紹介していきたいと思います!
塩澤賢一のwikiプロフと経歴
社長という夢を掴んだサラリーマン、塩澤賢一さんの素顔に迫ります!
塩澤賢一のwikiプロフ
引用:日本食糧新聞
名前:塩澤賢一
生年月日:1958年9月19日
年齢:62歳(2021年4月現在)
出身地:東京都大田区
学歴:大田区出雲小学校卒業、都立小山台高等学校卒業、慶応義塾大学商学部卒業
父親は普通のサラリーマン。一人っ子で育つ
子供の頃は勉強よりも遊ぶことに夢中だったと語る塩澤賢一さんですが、算数がお好きでそろばん教室にも通われていました。
塩澤賢一さんが通われた都立小山台高等学校は、理系科目に力を入れている高校です。
これまで算数や数学が得意で理系志望だった塩澤賢一さんですが、数Ⅲで躓いてしまい文系志望に転向することにします。それでも数学は好きだった彼は、公認会計士を目指して慶應義塾大学商学部に進みました。
塩澤賢一さんは大学在学中ボウリングに熱中し過ぎてしまい公認会計士の夢は諦めることになってしまいますが、大好きなビールをたくさん飲めそうだという理由でアサヒビールへの就職を決めます。
大学生活でついつい羽目を外してしまった塩澤賢一さんのエピソードには、とても親近感が湧きました。
公認会計士が駄目なら大好きなビールの会社に勤めようと考えたというのも、とてもポジティブで柔軟な性格がうかがえますね。そしていよいよ、塩澤賢一さんのサクセスストーリーが始まります。
- 1981年:アサヒビールに入社
京都支店や関東支店で営業職を勤める。 - 1998年:東京南支店長に着任
- 2006年:大阪支社長に着任
- 2011年:執行役員営業戦略部長に着任
- 2014年:常務兼常務執行役員に就任
- 2017年アサヒグループ食品取締役副社長に就任
- 2019年:アサヒビール社長に就任
営業という仕事が大好きだった塩澤賢一さんは、入社から27年間程営業一筋で邁進します。
営業本部長ならやってみたいと思いつつも社長になることについてはあまり本気で考えていなかったそうです。
しかしながら若くして大阪支社長になられ、その後も駆け抜ける様に社長に就任されています。
塩澤賢一さんがアサヒビールの営業マンとして成し遂げてきたのはいったいどのようなことだったのでしょうか。
次からは塩澤賢一さんがアサヒビール入社から現在までどのように取り組んでこられたのか詳しくお伝えしたいと思います。
塩澤賢一の経歴
塩澤賢一さんが入社された頃のアサヒビールは業界での売り上げシェアがなかなか伸びず大変苦戦していましたが、当時塩澤賢一さんの周りには優秀な営業マン達が揃っていました
彼らは顧客との信頼関係構築こそ第一であるとし、その為に自ら考え行ったことを仲間と共有しながら苦境を乗り越えてきたのです。
成功体験をひとり占めすることなく共有し全員で一丸となって競合他社との戦いに勝とうと考えているところが、この先輩営業マン達のすごいところですよね。
その背中を見てきた塩澤賢一さんは看板商品である“スーパードライ”の発売以降の好調な時代も驕らず、顧客の信頼を勝ち取り成果をあげていきました。
そして塩澤賢一さんは東京南支店長時代に、「チーム制」というものを導入します。
ここでは先輩と新入社員で編成したチームの中で、目標と実績を共有しながら全員で課題解決を目指しました。さらに大阪支社長時代には、積極的に考え行動出来る従業員を目に見える形で評価していきたいと考え「支社長賞」をつくります。
顧客との信頼関係なしに競争の激しいこの業界で優位には立てないという信念のもと、顧客と一緒に考え行動できる営業マンを育てるため塩澤賢一さんは様々なことに取り組みました。
それらの取り組みは、営業マンのスキルアップに加え業績の向上や組織の活性化にも繋がりました。
さらに営業本部長となった塩澤賢一さんは、支社時代の経験と実績を元に会社全体の営業手法の改革に乗り出します。
当時のアサヒビールでは提案や説明から商品を売り込んでいく一方向的な営業手法が当たり前でした。
そこで塩澤賢一さんは、顧客と一緒に課題をみつけ解決していくという相互コミュニケーション型の営業手法を落とし込んでいきます。
本部長という忙しい立場にありながら、彼自ら全国の統括本部を巡って研修を行ったというから驚きです。
アサヒビール一筋だった塩澤賢一さんでしたが、ここにきてグループ会社のアサヒグループ食品取締役副社長に就任します。
彼はそこで、シェアを勝ち取ろうとビール以外の食品分野まで囲い込もうとする業界全体のやり方に違和感を覚えました。
最初はお客様に選ばれるためのシェア争いだったのに、だんだんとシェアを獲得することが目的のようになってしまっていたのかもしれませんね。
他社との競合で勝利するには差別化を図ることこそ重要だと気づいた塩澤賢一さんは、ビールの美味しさやその先のお客様の感動を追及することこそがアサヒビールがやるべきことだと考えはじめます。
ほどなくして塩澤賢一さんは、社長として原点であるアサヒビールに戻ってきました。
塩澤賢一の年収
サラリーマンから社長にまでなられた塩澤賢一さん、一番気になる年収についても調査致しましたのでご紹介いたします。
最新の有価証券報告書によると、アサヒホールディングスに籍を置く取締役5名の年収が1憶3千万円、同社に籍を置く監査等の委員に所属する2名の年収が2千3百万円です。
ここには塩澤賢一さんは含まれないのであくまで推測ですが、彼の年収は1憶円前後ではないかと考えられます。
ちなみにアサヒビール全体の平均年収が1000万円前後とされていますので、社長の年収というのは本当に別格ですね。
ここまでの成功を収めた塩澤賢一さんを陰で支えている、ご家族についても注目してみたいと思います。
塩澤賢一の家族構成
残念ながら、塩澤賢一さんの家族構成につきましては公表されていないようです。
社長となられてから様々なメディアの取材を受けていらっしゃいますが、内容はお仕事のお話がほとんどです。
塩澤賢一さんはインタビュー等の受け答えにも穏やかで誠実な人柄がうかがえますので周りの女性が放っておかなかったのではないでしょうか。
また家庭でのビールのありようを語る姿や、若者向けの施策を次々と打ち立てていらっしゃる背後に温かなご家庭の存在が垣間見える気がします。
しかしながら、趣味が繁華街の視察と言われている程仕事一筋な方ですので独身の可能性もありそうです。
まとめ
今回は「塩澤賢一のwikiプロフと経歴!年収や家族構成も調べてみた」というタイトルでお届けしました。
ベーシックを崩さないとか、高いモチベーションを維持し続けるというのは実は非常に難しいことですよね。
営業マンという立場を離れても顧客との信頼関係というベースを崩さず、日々新たに発生してくる問題や課題に向き合い考え続けてきたところこそ、塩澤賢一さんの強みであり成功の秘訣だったのではないでしょうか。
そんな塩澤賢一さんが舵をとるアサヒビールですので、これからどんな“美味しいく楽しい”商品やサービスが出てくるのか期待が膨らみます♪
それでは以上となります。最後までお読み頂きありがとうございました。